日々雑感

そうだったのか・・大宰府。

って、歴史知識の無さ丸出しだけど。

九州の大宰府といえば・・
都の高官だった菅原道真が左遷されたところ。

とここまでは誰でも知っていて、
大宰府=大宰府天満宮=学問の神様

しっかし!大宰府をこれだけで片づけてはまったくもって
日本文化の何たるか?!をわかっちょらんことになる。

ということで・・
太宰府天満宮の敷地内からすぐ行ける
九州国立歴史博物館へ!!

こーんな、近未来的な通路を通って、
いざ、過去の日本へタイムスリップじゃ。

大宰府を語るなら、『大宰府政庁』を語らねば。

大宰府政庁?日本史で習ったっけ??
663年に日本が朝鮮出兵して
『白村江の戦い』で負けた、話は習った。

その際に、この先、朝鮮から攻められたら大変!
ということで、朝鮮半島からほど近い、
福岡県の大宰府に、
外的からの防御、外交交渉の出先機関として
政庁が作られたというワケです。

菅原道真は903年没ですから、
道真はこれよりかなり後の人ですね。

かの藤原氏に睨まれて、
道真はたまたま大宰府へ左遷されただけ。
特に深い所以は無いわけで。

でもって、道真が大宰府で没すると
京都で雷、地震などの天変地異が相つぎ
これは、道真の怨霊(天馬)による仕業に違いない!
ということで、大宰府に道真の霊を慰める神社が作られた。

天馬転じて、天満宮。

よって、大宰府天満宮。

それが、なぜか学問の神様になっちゃたー。
きっと、藤原氏の連中が、後味悪いので
学問の神様にでもしておこう!としたのに違いない(私説・笑)。

ということで・・
大宰府を語るなら、大陸との交渉の地
として語らない、とね。

遣唐使時代から、ここで大陸との交流が盛んに行われていたそう、
12世紀後半(平安時代)まで。

大陸との交流を通して
日本の政治・経済・文化等が形成されていきました。

九州にやきものの窯元が多いのも、納得です。

今の日本の原点、ここにあり!
と言っても過言ではないかもしれません。

それにしても・・
大宰府天満宮は若い人でごった返していましたが・・
ここ九博は人少ないな・・

パワースポット人気も良いけれど・・
ここへ来たら日本の国の成り立ちやその素晴らしさも
学んでもらいたいな、と思いました。

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