長南町のこと

長南町は庁南町だった!

さて、これは何の跡でしょう?!
当古民家から歩いて10分ほど、
カフェこっとんぼーるさんのすぐ近く。

鉄道の跡ですー。
って、長南町に電車走ってたの?!
んー、電車ではありません、走っていたのは人道車。

何ですかソレ??

さっそく、茂原市郷土資料館に調査へ!(爆)

左に見える黄緑色の木の客車がそれ。
??? (右手前のはご存知、人力車)

人道車とは??えーっと、
鉄の線路が茂原から庁南町(字に注意!)まで敷かれまして・・
その上にこの木製客車を乗せまして、人力で動かしていましたっ(汗)

客車の定員が8名、それを2名で押して動かしたそうな。
どんだけ効率悪いのん?
この鉄道が庁南町まで敷かれたのが明治42年。
わー、我が音楽スタジオ・蔵の竣工の翌年だー。

この当時は、長南町は庁南町と呼ばれていたそうな。
何ゆえ??

戦国時代、房総半島は、武田氏の配下にあったそうで
その中心的出城が、庁南城と真里谷城(木更津市)。
なので、庁南町。
明治維新後も房総半島南部の千葉県庁の出先機関として
庁南と引き続き呼ばれていたそうな。

現在の長南に改名されたのは、1955年だそうな。
割と新しいのねー。

庁南城跡、町役場の近くに残っているみたい・・
これは現地リポートしなければ!
神社仏閣・城郭好き女子としましては(爆)

あ、この人道車、あっという間に自動車に取って代わられ
大正時代前期には廃線になったそうです。

音楽スタジオ・蔵は残りましたけど(爆)
そんな歴史も知っている蔵って、なんか愛おしい。

廃線からたった100年で、世の中の変化の激しいこと!
人類は宇宙へ飛び出し
空飛ぶ自動車実用化も間近とか!

それなのに、蔵のたたずまいは変わらない・・
これぞSDGs。

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